|
2007年 05月 14日
競争心と向上心
生前の手塚には「常にマンガのムーブメントの中心にいたい」という強い意志が指摘される。 * 劇画が巷に出始めた頃は、手塚はみずからの図柄や構図に劇画の手法を取り入れ、作品に厚みやリアリティーを増した。 * ベテラン漫画家となると通常はしなくなる出版社への原稿の持ち込みを晩年まで行なって いた。 * 原稿料が高くなると執筆の場がなくなることを恐れ、あえて原稿料を据え置いていた。 * 注目すべき新人漫画家へのチェックを欠かさなかった。 * 若手漫画家らと同席した際には、自ら出向き「君の絵のタッチは再現できるよ……」などと陽気に話しかけ、悪意のないライバル心や、流行への探究心(curiosity)を晩年に至っても持ち続けていた。 他の漫画作家との関係 福井英一 生前の手塚が自ら「ライバル視していた」と認めていた。手塚が描けないスポーツ漫画(『イガグリくん』)をヒットさせたことが焦りを生んだのか、手塚は自らが連載していた『漫画大学』の中で「よくない例」として福井作品を模した絵を描き、これに福井が抗議して、馬場のぼるの仲介で謝罪したこともある(『漫画教室』の作中でも登場人物にわびさせている)。その後、福井は過労で急逝するが、手塚はそのとき内心ほっとしたという感情に見舞われ、そのことに後でぞっとしたと書き記している。 水木しげる 妖怪のジャンルが流行すれば、対抗し『どろろ』を発表した。水木しげるはある出版社パーティーの席で後の方で地味に飲んでいたら全く面識のなかった手塚が突然やってきて、自己紹介もそこそこにいきなり「あなたの絵は雑で汚いだけだ」「あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ」と言い放った。水木は、その場では全く反論せず、言いたいように言わせていた。そして黙って帰った後、短編『一番病』を描き上げる。水木マンガによく登場するメガネの主人公、「自分が世界で一番で無ければ気がすまない棺桶職人」が他人を追い落とさんがために体を酷使し周りから心配されるが「一番病に取り付かれた者にとってそれは苦しみではなく、最大の楽しみなのである」という話。 また宝塚ファミリーランド(遊園地)にて、鬼太郎のアトラクションを開催していた事に対し、手塚は「私の故郷の宝塚で勝手なマネをするな」と“難癖”と取られても仕方がない発言を行ったそうである。「でもそんなこと言われてもね、私だって困ります」 (水木談) 梶原一騎 手塚は「あんな漫画(『巨人の星』)のどこが面白いんだ」とはっきりと嫌悪を示してスタッフに訴えたという。なお、手塚のアシスタントだった石坂啓によれば、『巨人の星』掲載時の『少年マガジン』全般について批判的であったとされているので、特に梶原一騎作品というわけではなく、劇画・スポ根ものといった、自身の作風と距離のある漫画全般に対する批判であったとも考えられる。 石ノ森章太郎 『ジュン』(「一切台詞の無い漫画」)に対し、嫉妬心から「あれは漫画ではない」と批判した。石ノ森はショックで連載(虫プロ商事発行『COM(コム)』)を止めるまでに至ったが、後に手塚が失言を認め謝罪。石ノ森の漫画には絵や演出方法に手塚の影響が随所に見られる。 さいとう・たかをの『ゴルゴ13』にも似たような批判をしていた。さいとうは「漫画の神様は漫画より絵図面が上手い」と反発。また、さいとうは手塚の批判について「(自分と)全く作風が違っていたから意に介さなかった」とも語っている。 荒木飛呂彦が東北出身の漫画家として石ノ森章太郎を挙げた際に「あの程度」と東北出身の漫画家が少ないことから、荒木が同郷である“石ノ森を超えよ”の意を込めた。荒木のデビュー作「武装ポーカー」のセンスを絶賛し、入選に選んでいる。 大友克洋 初登場時にその精緻な画力・斬新な表現方法に衝撃を受け、自分のデッサン力の無さを自覚していた手塚は、大友を特集していた1988年の『ユリイカ』臨時増刊号誌上で、大友を絶賛して降参を宣言。しかし、大友克洋本人に会ったときには「自分でも描ける」と発言。『陽だまりの樹』では大友克洋に影響を与えたフランスの漫画家メビウスのタッチを取り入れている。 手塚はストーリー重視の、より重厚な作品の創作に意欲的に取り組むようになる。この時期、本人も自分の漫画は記号的であると宣言したという。幼い頃から手塚作品を読んで育った大友自身は手塚に高い敬意をはらっており、自身の著作『AKIRA』を手塚に捧げるとし、手塚の死後『メトロポリス』が映画化されたときには脚本で参加した。 藤子不二雄 藤子不二雄Aによると、手塚はトキワ荘時代に赤塚不二夫や石ノ森章太郎らを食事に招待したが、藤子両人は声をかけられなかったという。また、両人がコンビ解消した際に手塚は「これで同等に勝負出来る」とコメントしていた。故・藤子・F・不二雄も安孫子同様、生涯に渡って手塚を「最大の漫画の神様」と尊敬し続け、自伝や漫画の書き方の本で手塚を絶賛していた。手塚も「ドラえもんの人気にはかなわない」とコメントしたことがある。 いしかわじゅん・吾妻ひでお イベントで同席し、「この二人は若手の間では神様みたいな人」と紹介され恐縮したといしかわの著作にある。また、この二人を「七色いんこ」に登場させたいとのことでいしかわが本人から電話をもらったとある。 手塚治虫
by Rock_Hill
| 2007-05-14 01:02
| アニメ・マンガ
|
ファン申請 |
||