|
2007年 06月 07日
以前、「小さな悲しみ」の記事名でも書きましたが、戸籍から我が子の名前が事務的にあっさりと省略されるのは何とも云い様の無い虚しさを感じます。確かに「死亡」の記載にも涙がこみ上げてしまいますが、しかしそこに・・、家族の中からその子の記載がまったく無くなってしまうという事には、涙とともに心の力の消失すら感じてしまいます。
子を失った親ならば誰しもが一生一番大切に胸に抱き続けるもの・・、それはたとえ短い生涯であったとしても大きな大きな「その子が生きた証」ではないでしょうか。 その「証」のひとつがあっさりと削除されてしまう。 これは戸籍の電子データ化に伴い事務処理の効率UPの為(?)それ以前に亡くなった方は省略して良いことになった為だそうです。 事務処理の効率を良くすることも大事でしょうが、これは人の心・・、しかも死というもののあとに襲ってくる非常にデリケートな感情に関係した部分だと思います。 確かにその名が記されているかいないかで公的に何かがかわる訳では無いでしょう。また、逆に記載を望まれない方もいらしゃると思います。しかし、だからといって全てを即省略と云うのもどうかと思います。 人の気持ちに係わる部分まで、事務処理の効率だけで決められたのでは本当に虚しくないですか? 死んだらあなたも「削除」決定!・・って言われても・・。 他に変えてゆかねばならないこと、山ほどあると思うんですが・・。 何も、全ての人の名を再記載してくれと言ってるのではありません。せめて希望者の方だけには、その事務処理にほんのひと手間かけてもらえないもんでしょうか? 記載を望むか、無記載を望むかくらい住民側に決定権があってもよいのではないでしょうか? そのひと手間で救われた気持ちになる人も確実にいるんですから・・。 先日、「小さないのち」の会の方々がそのことを法務省はじめ地方行政に訴えられたというニュースを知り大きく賛同すると共にその努力に熱いものを感じています。 自分も是非、お願いしてゆきたいです。 勿論、心の中にはいつも家族と一緒のえみるがいます。 ですが、思い出して下さい。あの日、親はどんな気持ちを込めて我が子に名前を与えたのか・・。どれだけ誇らしい気持ちで役所に届けにいったのか・・。そして、想像してみて下さい。その名が「削除」一発で目の前の画面から消えてゆくところを・・、フリガナも・・、生年月日も・・、性別も・・、みんな消えてゆく・・。 心の中のえみるが消えることは決してありません。けれども真っ白な空白が・・、存在がまったく感じられなくなった記載の仕方がどれだけ虚しいものか・・。 是非皆さんのお力添えをお願い致します。 えみるがうちの家族の一員として、世田谷の地で「生きた証」がひとつ帰ってくるかもしれません。 「えみる」は削除されたの!? ・すべて同意なんですが、これを英文にしてブリトニー・スピアーズ、パリス・ヒルトンの一族に朗読させるべき。
by Rock_hill
| 2007-06-07 19:00
| 生/死
|
ファン申請 |
||